戦後最大の怪事件
主要人物
矢田喜美雄
布施 健
第二話 下山事件
警報が鳴っていた。
けたたましいサイレンの音と、列車の通過音。線路脇には警官隊が集まり、互いの肩をぶつけながら慌ただしく動いている。
その空気はまるで、爆発の余波のようにぴりついていた。
背広姿の若い男が、群衆の間をかき分けて前へ進もうとする。
矢田喜美雄
「布施検事! 布施さん!」
朝日新聞記者・矢田喜美雄。
彼は、今まさに現場へ駆けつけたところだった。
布施 健
「なんだ、記者か……相変わらず鼻がきくな」
矢田喜美雄
「朝日新聞の矢田喜美雄です! 少しだけ話を聞かせてください!」
布施 健
「捜査の邪魔だ。下がれ」
布施は、周囲の警官たちに向かって短く命じる。
「検察だ、道を開けろ!」
矢田が食い下がるように迫る。
矢田喜美雄
「布施検事! ……現場で発見されたのは、行方不明になっていた下山総裁で間違いないんですね?」
布施は、溜息混じりに小声で告げる。
布施 健
「……車に乗れ。ここじゃ話にならん」
車のドアが閉まり、エンジンが低くうなって走り出す。後部座席に並んで座った矢田と布施は、短い沈黙をはさんで口を開く。
布施 健
「まったく……捜査一課の連中が好き勝手やるせいで、こっちは蚊帳の外だ」
布施の顔には疲労の色が濃い。だがその目は、まだ冷静な光を失っていなかった。
矢田喜美雄
「下山総裁は殺されたんですか?」
布施 健
「お前の書く文章は知ってる。だが、曲げて書くな」
矢田喜美雄
「真実しか書きません」
布施は短く息をついてから、静かに事実を述べる。
布施 健
「七月六日未明、失踪から一日後、常磐線の線路上で轢死体として発見された。本人確認済み、間違いなく国鉄総裁・下山定則。ただし、他殺か自殺か、現時点では判断は保留だ」
矢田喜美雄
「国鉄の大量解雇が発表された直後ですよね。事件と関係があると見ていいですか?」
布施は、声を潜めた。
布施 健
「ある。——間違いなくな。政治が絡んでる。警察も検察も、GHQも……それぞれが、自分の都合で動いてる……」
矢田喜美雄
「つまり、日本を揺るがすような事件になる」
布施 健
「ああ。捜査一課は、すぐ会見を開くだろうが“死因不明”。それしか言えんはずだ。……荒れるぞ、日本は」
車窓の外では、雨が降り始めていた。ぬかるんだ地面に、水が叩きつけられる音がする。線路に流れ出した血痕も、遺留品も、そのほとんどが洗い流されていた。
その夜、矢田はこう記した。
矢田喜美雄
「当年七月六日。国鉄総裁・下山定則が列車に轢かれ、遺体で発見された。
戦後四年、日本は未だ混乱の中にあり、何が起きてもおかしくない時代だった。
事件当日は激しい雨。肉片、血痕、遺留品——そのほとんどが流され、捜査は困難を極めた。
自殺か、他殺か。それは、国家、政治、そして世論を巻き込む“大論争”となっていく……。
俺は、かつて一つの事件を見事に解決してくれた、ある男のもとを訪ねることにした。
その男の名は――檀一雄」
ここまでのおさらい
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矢田喜美雄
やだきみお下山事件の真相を追うべく、かつて世話になった檀一雄のもとへ向かうことを決意する。
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布施 健
ふせたけし捜査一課に蚊帳の外へ置かれながらも、下山事件の裏に政治の影があることを確信している。
ここまでの用語解説
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ふせ たけし布施 健
布施健(ふせ・たけし)検事、通称フセケンは、戦後日本の司法制度において極めて異色の存在であった実在の人物です。東京地方検察庁に勤務し、下山事件・三鷹事件・松川事件といった「国鉄三大ミステリー」のうち、特に下山事件の捜査に深く関わったことで知られています。
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やだきみお矢田喜美雄
矢田喜美雄(やだ・きみお)は、実在した昭和の新聞記者であり、戦後最大の謎といわれる「下山事件」の報道において重要な役割を果たした人物です。特に、当時の朝日新聞の記者として、事件の現場検証や証言取材に尽力したことで知られ、下山総裁の遺体の「状況」に疑問を持ち、「他殺説」を強く支持しました。
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しょうわのくるま昭和の車
当時の「昭和の車」は、まだ戦後復興の途上にあり、自家用車は極めて珍しく、乗用車の多くが「公用車」か「進駐軍(GHQ)関係者の輸入車」でした。戦前から存在したトヨタ、日産(ダットサン)などが生産を再開し始めた頃でした。布施健は公用車として生産が再開された国産車(日産 ダットサンなど)に乗っていたのでないでしょうか?
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しもやま さだのり下山定則
下山定則(1901–1949)は、昭和期の官僚であり、戦後、国家の鉄道インフラを担う日本国有鉄道(国鉄)の初代総裁に就任。国鉄は1949年に発足した国家所有の巨大鉄道組織で、現在のJRグループの前身。下山はそのトップとして、人員整理を含む戦後の大改革に着手するが、その最中に不可解な死を遂げた。轢死体として発見された事件は「下山事件」として今なお多くの謎を残し、日本戦後史の暗部として語られ続けている。
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せんごのこんらん戦後の混乱
戦後四年の日本は、敗戦の影響が社会全体に色濃く残る、極めて不安定な状態にありました。都市部には空襲の傷跡が残り、深刻な住宅不足と食糧難が続いていました。配給だけでは生活が成り立たず、多くの人々は闇市に頼らざるを得ず、犯罪や暴力も頻発していました。復員兵や海外からの引揚者は仕事を見つけられず、労働争議やストライキが各地で起こっていました。占領下ではGHQによる統治が行われ、政治・司法・報道制度が急速に改革されましたが、新しい価値観や秩序はまだ社会に定着していませんでした。自由と統制、希望と不安が入り混じり、何が起きてもおかしくない混乱の時代だったのです。
