太宰治と檀一雄のバディ探偵ミステリー
第一章

戦後最大の怪事件

主要人物

第六話 再訪④

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太宰 治

「ふらふらしてたら、こっちに辿り着いた。油足で悪いが、上がるぞ。と言っても、この部屋のほうが汚れてるかもしれないな」

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檀 一雄

そう言って、太宰は勝手知ったるように部屋へ上がり込み、懐かしそうに、けれどもどこか他人事みたいに部屋を見回した。

挿絵
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太宰 治

「おお……原稿用紙。変わらないなあ。筆も……これはいいやつじゃないか。けれど、白いな。あまりにも白い。まっさらな白というのは、罪深い色だよ。……くわばらくわばら」

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檀 一雄

「真っ白だよ。何も書けない」

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太宰 治

「でも、書きたいんだろ?」

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檀 一雄

「……ああ。正直に言えば、そうだ。でも、もう……煩悩すら出てこない。何も感じないんだ」

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太宰 治

「ああ、それは違うよ、檀。僕たちはね、煩悩でできてるんだ。書きたいなんて殊勝な動機は、元々持っちゃいない。欲まみれの、だらしない動機、それが僕たちを動かしてきたんだ」

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檀 一雄

彼は笑っていた。
少年のように、あるいは、年老いた俳優のように。

挿絵
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檀 一雄

「……あの頃の俺たちは、酒と女と屁理屈ばかりだったな」

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太宰 治

「そうだとも。きみ、そこに氷嚢を当てながら原稿を書いてたな。。“足から軍勢が駆け上がってくる”なんて、泣きながら叫んでいた」

太宰は、見下すような目で俺を笑った。

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檀 一雄

「他人事みたいに笑われる筋合いはないぞ」

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太宰 治

「はは。僕なんか、アスピリン一箱飲んで倒れた。古谷の家の縁側で、空の青さを恨みながら気を失っていたっけな。あれが、はじまりだった」

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檀 一雄

「懐かしいな……お前、元気そうで良かったよ」

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太宰 治

「誰か来てたな。気配で分かった」

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檀 一雄

「矢田だ。昔、俺たちが“探偵ごっこ”してたときに関わった学生」

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太宰 治

「矢田……ああ、“赤い洋墨の手紙事件”の子か。……まだ覚えていたのか。探偵業を、またやってくれって?」

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檀 一雄

「そうだ。“下山事件”ってやつでな。相当厄介らしい」

挿絵
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太宰 治

「……面白いじゃないか」

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檀 一雄

「本気か?」

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太宰 治

「探偵というのはね、未知を追う行為だよ。何が正しいか分からないまま、手がかりを拾って歩く。作家と、何が違う?」

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檀 一雄

太宰は、まるで稽古場で台詞をなぞるように、ゆっくりと語った。

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太宰 治

「人間を観察し、断片から真実を組み立てていく。事件の真相には、必ず“人間”がいる。そのドラマは、美しくも、滑稽でもあり、悲しい。文学と変わらないよ。……いや、文学よりずっと、誠実かもしれない」

挿絵
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檀 一雄

俺は、黙って頷いた。

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太宰 治

「暇だしな。手伝ってやるよ。桜桃探偵舎、再始動だ

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檀 一雄

「……太宰……」

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太宰 治

「お前の作品、また読みたいんだよ。あの、どこか捨て鉢な、突き放した言葉たち。僕には書けなかった。書け、檀。書くんだ。
お前はまだ、生きてる

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檀 一雄

「お前がいるなら……俺も、もう一度、やれる気がするよ」

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太宰 治

「僕たちは、シャーロックとワトソンだったろ?」

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檀 一雄

「ああ。もちろん、お前がホームズだ」

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太宰 治

「では、ワトソン君、今宵は一献くれないか。桜桃探偵舎、再出発の祝盃だ」

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檀 一雄

「喜んで」

グラスが音を立てた。音が、部屋の空気を一瞬だけ震わせた。

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太宰 治

「未知なる事件へ──乾杯、だ」

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檀 一雄

「乾杯……ホームズ太宰先生」

心が、少しだけ浮いた。こんな気持ちになるのは、いったい何年ぶりだろうか。

挿絵

“楽しい”なんて感情は、もうとっくに終わったものだと思っていた。

けれど今、目の前に太宰がいて、言葉を交わし、グラスを傾けていると、かつての自分が、どこかで目を覚ましはじめるのを感じた。

酒が進むにつれて、俺たちは自然と、あの頃の話をしはじめた。
帝大の、薄暗い下宿。走る活字、バカな夢。

何者かになれると信じていた、あの時代の夜のことを。

ここまでのおさらい

  • 檀 一雄サムネイル

    檀 一雄

    だん かずお

    矢田が帰り再び独りになった部屋で、太宰と再会した。

  • 太宰 治サムネイル

    太宰 治

    だざいおさむ

    絶望に沈む檀の前に、突然姿を現した。

ここまでの用語解説

  • No Image
    氷嚢を当てながら原稿を書いてた

    檀一雄には、若い頃に淋病に感染しながら、病院に行かず自力で治そうとしたという逸話が残っています。当時の檀は恥や意地から医者にかかることを避け、痛みや発熱を抑えるために氷嚢を股間に当て、そのまま原稿に向かっていたと伝えられています。結果的に症状は悪化し、最終的には入院することになりますが、この無茶な姿勢は、生活と創作を切り離せなかった檀の気質をよく示しています。身体は壊れかけていても書くことをやめない。その姿は笑い話であると同時に、戦前の文学青年たちの無鉄砲さと、作家としての執念を象徴するエピソードでもあります。

  • No Image
    僕なんか、アスピリン一箱飲んで倒れた。

    この「アスピリン一箱飲んで倒れた」という表現は、檀一雄の著作「小説 太宰治」の一節に見られるものです。本書は、檀一雄が友人として間近で見てきた太宰治の言動や逸話をもとに描いた、事実と文学的再構成が交錯する作品です。その中で太宰は、自身の無茶な生活や身体の弱さを、半ば笑い話のように誇張して語っています。「一箱」という言い回しも、医学的事実を正確に示すものというより、太宰特有の自己戯画的な表現と受け取るのが適切です。このエピソードは、薬に頼らざるを得なかった太宰の不安定さと同時に、それを自嘲と諧謔に変えて語る文学者としての姿勢を伝えるものとして位置づけられています。

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    シャーロックとワトソン

    昭和8年(1933年)頃の日本では、シャーロック・ホームズの本格的な紹介は既に進んでおり、探偵小説として一定の人気を獲得していました。明治期から翻訳・紹介は続いていましたが、昭和初期には複数の訳者によるホームズ作品の翻訳出版が体系化されてきました。平凡社「世界探偵小説全集」では昭和5年頃から江戸川乱歩や延原謙、三上於菟吉らがホームズ短編を翻訳し、読者に紹介していました。さらに、昭和6年〜8年にかけて改造社が『ドイル全集』として全作品のまとめ刊行に取り組んだことで、原書に忠実な形でホームズ作品を読めるようになったのです。