中原中也と赤い手紙の謎
主要人物
太宰 治
声/岡本信彦
檀 一雄
中原 中也
第二話 中原中也②
中原 中也
「はあー? 何だよ、その答え、甘っちょろいな! 太宰、お前、それでも、作家か! 表でろ! 性根を直してやる!」
檀 一雄
俺は慌てて中原の肩を引いた。
「やめろ、離せ! 太宰らしくて、いいじゃないか」
すると中原の視線が、俺に向いた。
中原 中也
「大体、お前もな」
檀 一雄
「なんだよ」
中原 中也
「お前もだ! 太宰の腰ぎんちゃくに成り下がって、“天才ですね”だなんて面と向かって言ったんだってな? 人にそんなこと言える奴、
作家やめちまえ!」
檀 一雄
俺はさすがに頭に来て、言い返した。
「誰に何を言おうが、俺の勝手だ。大体、太宰に腰ぎんちゃくなんて必要ない」
中原 中也
「いいからこれでも食ってろ、竹輪野郎!」
中原が熱々の竹輪を投げてよこす。
檀 一雄
「熱っ! ……てめえ、この竹輪がどんな思いで煮られてるか分かるか! よし、じゃあお前にも分からせてやる!」
中原 中也
「わかるわけねえだろ、いてっ!」
そこからは、もう乱闘だった。
座布団は飛び、徳利は転がり、店主は呆れ果てていた。
太宰は、その喧騒のなかで淡々と立ち上がり、静かに言った。
太宰 治
「あーあ……おやじさん、先に帰りますんで、勘定よろしく」
檀 一雄
俺は中原を押さえ込みながら息を吐く。
「この酒乱が、お前が吐いた失言のツケは全部払ってもらうぞ」
中原は不意に力を抜いた。
中原 中也
「分かった檀…お前は強い…強いよ…俺も帰るよ…」
中原は、反撃の色が残る目を隠すように、深く帽子をかぶった。
檀 一雄
その姿を見て、俺は苦く笑った。
「ったく…弱いくせに…ああ…人はみな、弱いか」
……小雪の降る夜、中原中也は詩を口ずさみながら帰っていった。
中原 中也
「屋外は真ッ闇 闇の闇
夜は劫々と更けまする
落下傘奴のノスタルヂアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」
檀 一雄
太宰は、いつの間にか席を立っていた。
あの頃……俺たちは、言葉でしか傷つけ合えなかったくせに、
それでも一緒にいた
それが、俺たちの“若さ”だった。
話一覧
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第二章中原中也と赤い手紙の謎
ここまでのおさらい
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檀 一雄
だん かずお「太宰の腰ぎんちゃく」と言われたことをきっかけに中原と乱闘した。
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太宰 治
だざいおさむ激しく乱闘する二人をよそに、一人で先に帰っていった。
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中原 中也
なかはら ちゅうや檀と乱闘になるが、押さえ込まれた後に負けを認め、詩を歌いながら帰っていった。
ここまでの用語解説
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てんさいですね天才ですね
檀一雄が太宰治に向かって「天才ですね」と口にしたのは、二人が初めて対面した場でした。檀はそれ以前に、同人誌などで発表されていた太宰の初期作品をすでに読んでおり、とくに「魚服記」「思ひ出」に強い衝撃を受けていました。自己嫌悪や劣等感をむき出しにしながら、告白で終わらず物語として成立させてしまう文章。その異様な完成度に、檀は努力や理論では説明できない資質を感じ取っていたのです。
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そこからは、もうらんとうだった。そこからは、もう乱闘だった。
この乱闘は誇張ではなく、檀一雄の回想「小説 太宰治」に基づく実話と考えられています。檀は、中原中也が激昂すると制止が効かず、掴みかかり、引き倒し、店外にまで及ぶ騒ぎになったと記しています。特に印象的なのは、檀自身が「太宰を庇うつもりで」中原や草野心平と取っ組み合いになり、気づけば草野の髪を掴んで暴れ回っていたという点です。太宰はその最中、いつの間にか姿を消し、檀は店を出たあと、丸太を拾って相手を待ち構えるほど興奮していたとも述べています。
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おまえはつよい…つよいよ…お前は強い…強いよ…
「小説太宰治」における原文は「わかったよ。おめえは強え」。乱闘が収まった瞬間に、中原中也が雪を払いながら、どこか恨めしそうに吐いた一言です。これは敗北宣言ではなく、檀一雄への屈折した承認でした。中原はそのまま車を拾って銀座へ出、さらに川崎大島の雪の夜の娼家に流れ着く。三円を二円、さらに一円五十銭へと値切る貧しさと荒みの中で一夜を過ごし、明け方には「昨夜、ガスで一緒に殺すつもりだった」と女に告げられる。なおも一円に値切って追い出され、雨まじりの雪道を「汚れちまった悲しみに/今日も小雪の降りかかる」と嘯きながら歩き、やがて河上徹太郎宅へ向かったという。この転落と漂流の果てにあるからこそ、「おめえは強え」は、衝動に生きる中原が持ちえなかった“踏みとどまる強さ”への、痛切な自覚として響くのです。
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「おくがいはまっくら くらのくらよはこふこふとふけまする らくかがさめののすたるぢあとゆあーん ゆよーん ゆやゆよん「屋外は真ッ闇 闇の闇夜は劫々と更けまする落下傘奴のノスタルヂアとゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」
引用されている詩句は、中原中也の代表作「サーカス」(詩集『山羊の歌』所収)の一節です。この詩は、単なる情緒的・音楽的表現ではなく、明確に「時代」と「歴史」を内包した作品として評価されています。とくに「幾時代かがありまして」という反復は、個人史ではなく集合的な時間感覚を示す導入として重要です。
山羊の歌 サーカス
著者:中原 中也幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました幾時代かがありまして
今夜此処での一と殷盛り
今夜此処での一と殷盛りサーカス小屋は高い梁
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ頭倒さに手を垂れて
汚れ木綿の屋蓋のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよんそれの近くの白い灯が
安値いリボンと息を吐き観客様はみな鰯
咽喉が鳴ります牡蠣殻と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん屋外は真ッ闇 闇の闇
夜は劫々と更けまする
落下傘奴のノスタルヂアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
