中原中也と赤い手紙の謎
主要人物
太宰 治
声/岡本信彦
檀 一雄
中原 中也
矢田喜美雄
第六話 赤い洋墨の手紙④
太宰 治
「ところで、矢田君。……なぜ君が彼女を助けようと? それに、なぜ檀のところに来たのか。素朴な疑問でね」
太宰が、いつものように柔らかな調子で矢田に向き直った。その目は笑っていたが、問いの芯は意外と鋭かった。冗談のようでいて、まっすぐだ。
矢田は少し戸惑ったように視線を泳がせたが、やがて落ち着いた声で答えた。
矢田喜美雄
「彼女が……困っているのを見ていられなかったんです。それに、帝大の図書館と言えば、作家の先生方の得意分野かと。檀さんの作品を、以前から読ませていただいていて。……それに、彼女が困っているのを見ていられなかったんです」
太宰はにやりと唇をゆるめ、そのままいたずらっぽく問いを重ねた。
太宰 治
「……ふむ。で、彼女のことが好きなのかい?」
矢田喜美雄
「い、いえ。……ただ、困っている人を見過ごせないだけで」
太宰 治
「いいね。文学的ですらある。しかしきみ、ああいう女はね、少し手の掛かるくらいの男が良いんだ。きみにそんな真似が出来そうには到底思えないけどね」
矢田喜美雄
「はあ……」
檀 一雄
「矢田に変なことを教えるな、太宰」
太宰 治
「よし。その哀れさに免じて、最善を尽くしましょう。檀くん?」
檀 一雄
太宰に促され、俺は笑って頷いた。
「任せてくれ。必ず見つけ出すよ、赤いインクの恋文の行方を」
依頼主
「……本当に、ありがとうございます」
彼女の声には、安堵と感謝が入り混じっていた。
その場にいた誰もが、少しだけ空気が和らいだのを感じていた。
中原が、ペンを置きながらぼそりと呟いた。
中原 中也
「詩的だな。“赤いインクの恋文”……事件としては、いかにもだ。タイトルをつけるなら
——“赤い洋墨の手紙事件”、だな」
檀 一雄
「興味、あるじゃないか」
俺がからかうと、中原は憮然と顔を背けた。
中原 中也
「ねえって言ってんだろ!ただ……真相だけは、気になるけどな」
檀 一雄
翌日、俺と太宰は帝大構内に足を運んでいた。
春の陽射しは柔らかく、けれど空気の芯にはまだ冬の冷たさが残っている。古い石畳を踏みしめながら、学生たちの喧騒のなかに紛れて、俺たちは「探偵」のふりをしていた。
まるで、推理小説の舞台だった。
太宰 治
「聞いて回るといろいろ出てくるものだねぇ」
檀 一雄
太宰が芝居がかった口調で言う。
彼は、こういう芝居を楽しんでいるようだった。
「では、集まった情報、整理しておこうか」
俺がメモ帳を開きながら言うと、太宰が人差し指を立てて語り出した。
話一覧
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第二章中原中也と赤い手紙の謎
ここまでのおさらい
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太宰 治
だざいおさむ矢田に「彼女が好きなのか」とからかいつつ、事件の捜査協力を約束した。
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矢田喜美雄
やだきみお彼女が困っている姿を見ていられなかったという思いや、檀の作品の読者であったことを語った。
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檀 一雄
だん かずお太宰に促され、「必ず赤いインクの恋文を見つけ出す」と力強く約束した。
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中原 中也
なかはら ちゅうや「赤いインクの恋文」という響きを詩的だと評し、この一件を「赤い洋墨の手紙事件」と名付けた。
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依頼主
いらいぬし事件の解決を約束してくれた檀たちに対し、安堵と深い感謝の言葉を伝えた。
ここまでの用語解説
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ていだいのとしょかん帝大の図書館
「帝大の図書館」とは、当時の東京帝国大学附属図書館を指します。ここは単なる学生用施設ではなく、昭和初期の文筆家にとっては思索と資料収集の拠点でした。実際、太宰治、芥川龍之介、佐藤春夫、堀辰雄など、多くの作家が帝大に在籍、あるいは出入りし、原書や哲学書、文学全集に触れています。当時は海外文学の邦訳がまだ少なく、仏文・独文の原典に当たれる場所は限られていました。そのため帝大図書館は「作家の工房」に近い意味を持っていたのです。
