女生徒と秘密
女生徒からの赤い恋文捜索依頼を受け「桜桃探偵舎」を再始動する太宰と檀。中原と共に聞き込みを進める中、甘酸っぱい恋の謎は深刻な事件へと変貌するーー。
主要人物
太宰 治
声/岡本信彦
檀 一雄
中原 中也
第一話 女生徒と秘密①
「おーい!」
檀 一雄
翌日も、俺と太宰は構内を聞き込みに回っていた。
すると突然、後ろから声が飛んできた。
振り返ると、息を切らしながら中原中也がこちらへ駆けてくるのが見えた。
手には冊子の束を抱えている。
「なんだ? どうした、中原」
俺が声をかけると、肩で息をしながら冊子を差し出してきた。
中原 中也
「見ろ!『青い花』だ!
試しに何冊か刷ってみたんだ。一足先に見せてやるよ」
檀 一雄
どうやら、俺たちが寄稿をした同人誌の創刊号を、試し刷りしたらしい。
冊子を受け取ると、太宰は皮肉交じりに笑って口を挟んだ。
太宰 治
「やっぱり、事件に興味津々じゃないか。素直に言えば良いのに……」
中原 中也
「ああん……? 何が言いてえんだモモノハナ野郎」
檀 一雄
危うく口論が始まらない内に、俺はすかさず目に入った冊子の印刷ミスを指摘した。
「この冊子、印刷がずれてるみたいだな」
太宰 治
「本当かい、檀……。 せっかく僕が書いた文章が、ずれて伝わったら困る」
檀 一雄
そう言って太宰は、俺から冊子を取り上げて、ゴミ箱に捨てた。一体、この男は中原中也の機嫌をどうしたいのか。
案の定、中原は眼を鋭く睨ませ、勢いよく一歩踏み出した。しかし俺の憂慮とは裏腹に、太宰ではなくゴミ箱に突っ込んでいった。
中原 中也
「こういうずれちまったもんにこそ、詩が宿ってんだろうがよ!!」
太宰 治
「……まったく中也はゴミ箱が似合うからな」
太宰はいつかの晩の仕返しと言わんばかりに、隠れて笑っていた。
檀 一雄
「中原で遊ぶなよ、太宰……」
俺は呆れながら、冊子を掴みゴミ箱から顔を上げる無防備な中原の顔に目をやった。
すると、中原の帽子に妙な色をした紙くずがついていることに気付いた。
焦げ跡のついた紙の断片のようだった。
端が黒ずみ、ところどころ灰のように脆くなっている。
ふと俺は、構内の学生から聞いた"手紙を燃やしていた人物"が頭に浮かんだ。
すかさず中原の頭に手を伸ばす。
中原 中也
「うわ! 何しやがる檀!」
紙くずを開くと赤インクの文字が見えた。——
檀 一雄
「……これは……手紙の断片。燃え残りだな。お手柄かも知れないぞ。……内容はわからないが……」
太宰が紙を覗き込みながら、やれやれといった様子で言う。
太宰 治
「内容がわからないなら、役に立たないじゃないか」
中原がここぞとばかりに、得意げに鼻を鳴らす。
中原 中也
「ふっふっふ、太宰、見立てが浅いぞ。よく見てみたまえ。インクの色がな、少し違う。赤……じゃなく、朱色。依頼主の使ってたインクとは、微妙に違う色合いだ」
太宰がわざとらしく顔をしかめて応じる。
太宰 治
「また、そうやって話をややこしくする……気のせいじゃないのか?」
中原 中也
「甘い!」
中原が声を張る。
「太宰、お前は本当に甘い!作家ってのはな、自分が何で書いてるのか、ちゃんと知ってなきゃ駄目だ。インクも、ペンも、紙も——道具にこだわらない奴が、どうして“こだわりのある言葉”を書けるんだ!」
太宰は肩をすくめ、皮肉まじりに笑った。
太宰 治
「ああ、拘りがないさ。だからこそ、何にでも手を出すんだよ。詩にも、小説にも、愛にも、そして死にもね……
でも、そういう無節操な奴が、一番しつこく、言葉にすがって生きてたりするんだよ」
檀 一雄
「まてまて、なんでそこで喧嘩になる」
俺は手をひらひらさせて、二人の間に割って入る。
だが、今は事件の話が先だ。
太宰 治
「でも中也の言うとおり違うインクだったとすれば——もしかして、手紙は二通ある可能性が?」
檀 一雄
太宰が言うと、俺は頷いた。
「ああ、すり替えたのかもしれない。この場合、犯人が貶めようとしている対象は、教授か、それとも依頼主の女生徒か……」
中原 中也
「ふん……」
中原が低く唸るように吐き捨てた。
太宰が言葉を重ねる。
太宰 治
「本物の手紙を隠して、偽の手紙を書いて流出させた。そう考えれば……本物のありかを知っている人物が、一人、浮かぶ」
中原 中也
「朱色のインクを使ってた奴だな。そいつが鍵を握ってる」
中原が確信を持って言い切る。その声は、思いのほか真剣みを帯びていた。
太宰 治
「中也、そろそろ興味を隠し切れないようだね」
中原 中也
「……言葉が届くべき場所に届いてないんだ。詩人としての性分だよ。お前らが事件を追う動機と変わりゃしねえ」
檀 一雄
夕方近く、矢田が帝大図書館に駆け込んできた。
俺たちの予感は、あっさりと現実になった。
話一覧
ここまでのおさらい
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中原 中也
なかはら ちゅうや太宰に捨てられた同人誌を拾う際、偶然「朱色インクの手紙の燃え残り」を発見した。
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太宰 治
だざいおさむ中原が見つけた手紙の燃え残りから、「偽手紙へのすり替え」の可能性を推理した。
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檀 一雄
だん かずお口論になる太宰と中原を仲裁しつつ、太宰の推理内容を整理した。
ここまでの用語解説
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「……まったくちゅうやはゴミばこがにあうからな」「……まったく中也はゴミ箱が似合うからな」
太宰のこの皮肉は、中原中也の詩に通底する“都市の憂鬱”と“掃き溜めの美学”を踏まえると味わいが増します。中也の作品には、裏町、煤けた空気、屑のように転がる感情といった、いわば都市の“底”が繰り返し現れます。美しいものよりも、汚れたもの、捨てられたものにこそ真実が宿るという感覚です。
ゴミ箱を漁る中也の姿は、その詩的態度の延長線上にあります。太宰はそれを揶揄しつつも、本質を突いている。掃き溜めの中からでも言葉を掴み上げる――それが中也の詩人としての資質なのです。
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どうぐにこだわらないやつが、どうして“こだわりのあることば”をかけるんだ!道具にこだわらない奴が、どうして“こだわりのある言葉”を書けるんだ!
実際、中原中也の自筆原稿(『山羊の歌』草稿など)を見ると、鉛筆書きのものが多く、勢いのある筆圧と書き直しの跡がはっきり残っています。推敲というより、衝動のまま紙に叩きつけるような書き方です。一方、太宰治の自筆原稿は万年筆による整った文字が多く、行間や字配りにも神経が行き届いています。文具雑誌などでは、太宰が万年筆を長く愛用していた逸話も紹介されています。
中也が言う「インクも、ペンも、紙も」という言葉は誇張ではなく、作家にとって筆記具が思考の速度やリズムを左右する“身体の一部”だった事実を踏まえた台詞なのです。
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そしてしにもね……そして死にもね……
S.fukasawa - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=107138132による
太宰治は学生時代から実際に自殺未遂を経験しています。昭和5年(1930年)、東京帝大在学中に銀座のカフェ女給・田部シメ子と鎌倉で心中を図り、女性は死亡、太宰のみが生存しました(いわゆる鎌倉心中事件)。
この台詞は単なる誇張や虚勢ではなく、若い頃から“死”を具体的な選択肢として抱えていた作家の実感に根ざしています。詩や小説と同列に「死」を並べて語る軽さの裏には、実際にそこまで踏み込んだ過去があるのです。
