中原中也と赤い手紙の謎
主要人物
太宰 治
声/岡本信彦
檀 一雄
中原 中也
矢田喜美雄
第四話 赤い洋墨の手紙②
檀 一雄
その夜、俺たちは状況を詳しく聞くため、矢田と依頼主を帝大図書館に呼び出した。すると、後ろからひょこりと見慣れた顔が飛び出した。
中原中也だ。
中原 中也
「何やってんだお前ら。おい檀、今日は青い花の打ち合わせを図書館でするって約束だったよな?」
檀 一雄
あろうことか、俺は中原との打ち合わせの予定を失念していたらしい。
「ああ、いや……その件なんだが、急用が入ってな。失くした手紙を探さないとならないんだ」
中原は、見る見るうちに眉間にしわを寄せ、俺を責め立てた。
中原 中也
「てめえ、良い度胸してるじゃねえかよ。この俺との約束を忘れて探偵気取りか!」
中原に責められる俺を、太宰は呆れた顔で見つめていた。
太宰 治
「だから言ったのに……」
中原 中也
「……で、客人なんだろ。同人誌の打ち合わせは後にしてやるから、さっさと話を進めろよな」
檀 一雄
中原は、不機嫌そうに俺を睨んで言った。
太宰 治
「話は進めますけど、口は出さないでくださいね。中也さん、空気は読まないのに行間だけは読もうとするから」
太宰が皮肉を混ぜて笑うと、中原が肩をすくめて返す。
中原 中也
「なんだとモモノハナ。興味のカケラもねーよ!」
矢田喜美雄
「彼女が依頼主です」
檀 一雄
彼女は一歩引いたところで静かに頭を下げた。
その所作はしなやかで、ひとつも乱れがなかった。
濃紺のスーツ、白く際立つ襟元。
短く整えられたボブ、品のいいベレー帽、口紅の色も控えめだった。
緊張と礼儀のせめぎあいの中でわずかに震える唇、その震えまでもが、妙に整って見えた。
まるで、よく焼き上げられた磁器のようだった。割れそうで、近寄りがたい。
——俺には、
まるで無縁の、端正な「令嬢」の姿だった。
……なるほど。
矢田が、あれほど慌てて早朝に駆け込んできたのも、今になれば納得だった。
彼女は一歩前に出て、姿勢を正すと、静かな声で語りはじめた。
依頼主
「帝大の図書館で……手紙を置き忘れてしまって。内容は、教授への恋文で……万が一、他人の目に触れたら……」
言葉のひとつひとつに覚悟と恥じらいがにじんでいた。
檀 一雄
「教授、ね……そりゃ確かに、表には出したくないな」
俺が応じると、太宰がひと言、頷いた。
太宰 治
「“秘密裏にしたい”事件だね、これは」
話一覧
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第二章中原中也と赤い手紙の謎
ここまでのおさらい
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檀 一雄
だん かずお矢田と依頼主を帝大図書館に呼び出すが、同じ場所で打ち合わせの約束していた中原に激怒された。
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中原 中也
なかはら ちゅうや約束を忘れていた檀に詰め寄るが、図書館での聞き込みにそのまま同席した。
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太宰 治
だざいおさむ怒る中原をからかいつつ、依頼主の話を聞き「秘密裏にしたい事件」だと呟いた。
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依頼主
いらいぬし教授へ綴った恋文を、図書館に置き忘れてしまったことを明かした。
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矢田喜美雄
やだきみお依頼主の女生徒を連れて帝大図書館に現れた。
ここまでの用語解説
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どうじんし『あおいはな』同人誌『青い花』
同人誌『青い花』は、1934年(昭和9年)12月に創刊された文芸同人誌です。中心メンバーは、当時東京帝国大学周辺に集っていた太宰治、中原中也、檀一雄ら若い文学者たちでした。ほかに、伊馬鵜平(のちの伊馬春部)、岩田九一、津村信夫、小野正文(斧稜)などの参加が確認されています。
『青い花』は特定の思想や運動を掲げる雑誌ではなく、詩・小説・随筆が混在する自由度の高い同人誌でした。創刊号には太宰の短編や中原の詩が掲載され、互いの作品を刺激し合う“実験の場”として機能していました。作中で中原が打ち合わせに訪れている描写は、こうした同人誌活動が日常的な交流の延長にあったことを示しています。
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モダンガール
彼女の装いは、いわゆるモダンガール(モガ)の美意識を強く感じさせるものです。昭和初期から戦後直後にかけて、都市部の知的女性の間では、和装よりも洋装が「自立」や「教養」の象徴として選ばれました。濃紺のスーツに白い襟元は、派手さを避けつつ理知的で清潔感のある装いで、学生や教師、出版社関係の女性に多く見られました。短く整えたボブヘアとベレー帽は、西洋文化への感度の高さを示す一方、過度に享楽的ではない節度も感じさせます。口紅を控えめにするのも、当時の「良家のモダン」な女性の作法でした。この装いは流行の誇示ではなく、身を律しつつ新しい時代を生きようとする姿勢の表れであり、檀が「磁器のよう」と感じたのは、その完成度の高さと、触れれば壊れそうな緊張感ゆえだったと考えられます。
