太宰治。戦闘、開始。
主要人物
布施 健
矢田喜美雄
第三話 肩書きの死
列車が通り過ぎる音が、遠くからかすかに届いていた。
窓の外では、夕暮れの空がわずかに赤みを帯び、鉄路の上に長く影を落としていた。東京地検の一室。
埃っぽく乾いた空気の中、布施健検事は窓辺に立ち、指先で煙草を転がしていた。
しばらく黙ったまま、線路の彼方を眺めていたが、不意にぽつりと呟いた。
布施 健
「……厄介な事件だ」
その声を聞き逃すまいと、矢田喜美雄が身を乗り出す。
彼の声には、熱があった。
矢田喜美雄
「布施さん、検察としての判断は?」
布施は振り返らず、窓の外を見たまま言葉を返した。
布施 健
「他殺と見てる。現場の状況も、そう言ってる」
矢田は拳を握りしめて頷いた。
矢田喜美雄
「僕も、そう思っています」
布施はゆっくりと、机の縁に腰を預け、煙草をくわえたまま、低く続けた。
布施 健
「……ただな。裏がある。最初、警視庁の一課は“自殺”として処理しようとした。ところが、途中で変わった。“殺人として扱え”と。——上からの圧力だ」
その言葉に、矢田の顔がこわばる。
矢田喜美雄
「圧力……?」
布施は煙を吐き出し、苦いような笑みを浮かべた。
布施 健
「ああ。……分かるか、矢田。これは、“下山定則”という個人の死じゃない。“国鉄総裁”という肩書きの死だ。死を、“利用”している」
その一言が、矢田の胸に突き刺さる。
言葉が出ず、しばし唇を噛んでいたが、ようやく絞り出すように言った。
矢田喜美雄
「……そんな……それじゃ、下山さんは“犠牲”
じゃないですか」
布施は静かに頷いた。
言葉の代わりに、わずかに煙草を指先で揺らす。
布施 健
「そういうことだ」
矢田は、目を伏せた。
机の端に目をやったそのとき、記憶の断片が彼の中に立ち上がった。そして、意を決したように語り出す。
矢田喜美雄
「僕、昔、ベルリンオリンピックの代表で……走り高跳びに出てたんです。そのとき、下山さんに会ったんです。試合後、ハンバーグを食べてたら、声をかけられて……“君が五位に入った時、嬉しかったよ”って、肩をたたいてくれた。五位でも、心から喜んでくれる人がいるんだって……あの時、救われたんです」
布施は、煙草の火を揉み消しながら、ゆっくりと頷いた。
布施 健
「……因果なもんだな。そんな人間が、政治の道具にされる。許せん話だ。まずは、圧力をかけた“組織”を洗う。そこからだ」
言葉を切ったあと、ふと思い出したように顔を上げた。
「そういえば……君、誰かに協力を頼むって言ってたな。作家か?」
矢田は背筋を伸ばして答える。
矢田喜美雄
「はい。檀一雄さんです。……信頼できる人です」
布施の顔に、ほんのわずか、口角が上がる気配が見えた。
布施 健
「檀一雄か……いい選択だ。作家は、俺たち官とは違う視点を持ってる。“事実”よりも、“本質”に踏み込めるかもしれん」
声の調子がわずかに硬くなる。
布施は背筋を正し、矢田をまっすぐ見て言った。
「ただし——内密にやれ。検察と警察じゃ、情報も立場も違う。それぞれの事情ってやつがある。……くだらんがな。命がかかってるってのに、利害と保身が先に来る。……戦争でな、“命の重さ”をどこかに置き忘れたんだろう、俺たちは」
矢田はしっかりと顔を上げた。その眼差しは、もう記者というより、一人の市民の覚悟を宿していた。
矢田喜美雄
「……でも、この事件が解決できれば。それが“本当の意味での日本の解放”につながると、僕は信じてます。報道の力で、真実を伝えたい」
布施はしばらく矢田の目を見ていたが、やがて、ほんの小さく頷いた。
布施 健
「……無茶はするなよ、矢田」
話一覧
ここまでのおさらい
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布施 健
ふせたけし下山事件を他殺と見立て、矢田に檀らを巻き込んだ内密調査を促した。
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矢田喜美雄
やだきみおかつて下山に励まされた思い出を語り、檀らと共に報道の力で真実を暴く覚悟を決めた。
ここまでの用語解説
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とうきょうちけん東京地検
663highland, CC 表示 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2205340による
当時の東京地検は、霞が関にある法務省旧本館(いわゆる「赤れんが棟」)周辺に置かれていました。この建物は明治期に建てられたドイツ風の重厚な煉瓦建築で、日本の近代司法を象徴する建物として知られています。しかし1945年の東京大空襲で屋根や内部の多くが焼失し、戦後しばらくは仮設の屋根や簡易修復で使われ続けていました。瓦礫の残る霞が関には、焼け跡の匂いと占領軍の車両が混在し、法務省・警視庁・GHQ関連機関が近接する独特の緊張感が漂っていました。下山事件のような国家的事件の捜査も、この戦後の混乱と占領体制の只中で進められていたのです。
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うえからのあつりょく上からの圧力
1949年当時、日本はGHQの経済政策「ドッジ・ライン」のもとにありました。これはアメリカの経済顧問ジョゼフ・ドッジが導入した強力な緊縮政策で、戦後のインフレを止める代わりに、赤字企業の整理や公務員・国鉄職員の大量解雇を進める内容でした。国鉄では数万人規模の人員整理が予定され、下山定則総裁はその実施責任者でした。もし下山が「労働争議や政治対立による他殺」と認定されれば、政府や占領政策への反発が一気に高まり、社会不安が拡大する恐れがありました。逆に「個人的理由による自殺」であれば政治問題になりにくい。このため当時から、事件の扱いを巡って警察や政府に強い政治的圧力が働いたのではないか、という疑念が残っています。
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ハンバーグ
MaedaAkihiko - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=106394164による
1930年代、ベルリンで食べられていたハンバーグは、日本の洋食店のものとは少し性格が違いました。ドイツでは「ハンブルク風ステーキ(Hamburger Steak)」や「フリカデレ(Frikadelle)」と呼ばれる肉料理が一般的で、牛や豚の挽肉を塩・胡椒・玉ねぎなどで味付けし、パン粉を少量混ぜて焼いた素朴な料理でした。デミグラスソースのような濃厚なソースは使われず、肉の味をそのまま楽しむのが本場のスタイルです。
一方、日本では明治以降に洋食として取り入れられ、パン粉や卵を多めに混ぜて柔らかく仕上げ、デミグラスソースをかける“日本式ハンバーグ”が発展しました。つまり当時の日本のハンバーグは、ドイツ料理を下敷きにしながら独自に進化した料理だったのです。
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“ほんとうのいみでのにほんのかいほう”“本当の意味での日本の解放”
1949年当時、日本はまだ連合国軍総司令部(GHQ)による占領下にありました。1945年の敗戦後、日本政府は存続していたものの、政治・経済・報道・警察制度に至るまで重要な決定はGHQの強い影響のもとで行われていました。言論も完全に自由だったわけではなく、占領政策に反する内容は検閲や圧力の対象になることもありました。
そのため当時の知識人のあいだでは、「戦争は終わったが、日本はまだ完全に自由ではない」という感覚が広く共有されていました。政治的な事件の真相が隠されたり、特定の勢力に都合よく解釈されたりする状況も少なくありませんでした。矢田の言う「本当の意味での日本の解放」とは、単に占領が終わることではなく、権力や政治に左右されず真実が公に語られる社会、つまり言論と民主主義が本当に機能する国になることを意味していたのです。
