BARルパンで。
主要人物
太宰 治
声/岡本信彦
檀 一雄
佐藤春夫
坂口安吾
第四話 BARルパン②
佐藤春夫
「随分と面倒なことをやっているね」
坂口安吾
「さっきも少し話したんだ、先生と。……で、どう思ってる?」
檀 一雄
「闇が深い。……けど、どこかに手がかりがある気がして」
佐藤春夫
「檀君。忠告だ。深入りしない方がいい。国鉄に関わる案件は、そう単純じゃない。下山事件、三鷹の暴走、松川の脱線……
わずか一ヶ月の間に、これだけの事件が続いている。誰かが、あるいは何かが、“動いてる”んだよ。それはいち作家が踏み込んでいい領域じゃない」
安吾が低く言った。
坂口安吾
「……戦争は、終わってないんだ。
日本が“負けた”だけで、別の形で、“戦争”は、今も続いてる」
檀 一雄
「……戦争が、まだ続いている……」
俺は静かに繰り返した。
胸の奥で何かが軋むように疼いた。
坂口安吾
「やめとけ、檀。……命を落とすぞ」
檀 一雄
その言葉には、冗談の気配はなかった。
「……わかってる。けど、この事件を追えば、自分の中の“何か”が、変わる気がするんだ」
坂口安吾
「……しょうがねえなあ。じゃあ、少しだけ付き合ってやるよ。というか、見張り役だな。お前を止めるための」
佐藤先生が、穏やかに笑って言った。
佐藤春夫
「気をつけなさい。作家ってのは、どこで誰に見られてるか、わからないのだから」
檀 一雄
「かつてのプロレタリア文学みたいに、な」
坂口安吾
「……そう。今も、時代は目を光らせているよ……」
店を出ると、雨はもう止んでいた。
銀座の街は濡れたままの舗道を鈍く光らせていて、どこかしんとしていた。
檀 一雄
ルパンの扉が閉まった音が、背後でわずかに響く。
しばらく歩いてから、太宰がふっと言った。
太宰 治
「……どうした? 檀。顔、青いぞ」
檀 一雄
その声で我に返る。
気づけば、もう随分歩いていた。通りの景色が、少しだけにじんで見えた。
「ん……ああ。帰り道か、もう」
俺がそう言うと、太宰はやや笑いながら言った。
太宰 治
「そうだよ。ルパンを出て、もうずいぶん歩いてる。気づいてなかったのか?」
檀 一雄
言われてみれば、足が少し重い。
頭の奥で、誰かの声がまだ反響していた。
「……いや、安吾が言ってたんだ。“戦争は、まだ終わってない”って。それ聞いたら、急に……満州のことを思い出してな。腹の奥が冷たくなって、……ちょっと飲みすぎたかもしれん」
太宰は空を見上げて、肩をすくめた。
太宰 治
「安吾らしい。——でもまあ、みんな元気そうだったじゃないか。勝手に僕の話で盛り上がって、よく笑ってたよ」
檀 一雄
その言葉に、俺は足を止め、ふと振り返った。
ルパンの灯りはもう見えなかった。
「お前が特別なんだよ、太宰。……消えても、残る。いなくても、話題になる。……それが、作家ってやつかもしれないな」
太宰は少しだけ首をかしげ、目を細めて言った。
太宰 治
「特別、ね。……今はきみという酔っぱらいを介抱して隣を歩く、ただの哀れな男だがな」
俺は頷き、足をまた一歩前に出した。
檀 一雄
「佐藤先生が今回の下山事件に似た、過去の事件を教えてくれた。……純粋に生きる人間が、犠牲になるのは、俺は許せん。俺が許さん」
太宰は、先ほどよりも強く歩を進める俺を目で追って笑った。
太宰 治
「酔ったね。檀」
寂しげに歩く影が、街灯の光にうっすらと揺れていた。
話一覧
ここまでのおさらい
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佐藤春夫
さとうはるお下山事件の調査に踏み込もうとする檀に対し、深入りしないよう忠告した。
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坂口安吾
さかぐちあんご下山事件に対する檀の決意の固さを知り、彼を止めるための見張り役として同行を申し出た。
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檀 一雄
だん かずお二人の忠告を受けつつも事件を追う決意を固め、純粋な人間が犠牲になる事件への怒りを露わにした。
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太宰 治
だざいおさむ満州での記憶を思い出して青ざめる檀を気遣い、酔っ払いの介抱として隣に寄り添って歩いた。
ここまでの用語解説
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にほんが“まけた”だけで、べつのかたちで、“せんそう”は、いまもつづいてる日本が“負けた”だけで、別の形で、“戦争”は、今も続いてる
1945年に戦争は終わりましたが、1949年当時の日本は占領下にあり、米ソ対立が激化する冷戦の渦中に組み込まれていました。共産主義の拡大を警戒するGHQは、労働運動や左翼勢力の取り締まりを強化し、政治・報道・警察にも強い影響を及ぼします。国鉄の大量解雇や一連の鉄道事件(下山・三鷹・松川)も、この緊張の中で解釈され、「思想」をめぐる対立として扱われました。銃声こそないものの、情報統制や世論操作、経済政策による圧力が人々の生活を左右する――安吾の言う「別の形の戦争」とは、こうした見えない力が人間を縛り、社会を動かしていく状態を指しています。
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プロレタリアぶんがくプロレタリア文学
プロレタリア文学とは、1920〜30年代の日本で広まった文学運動で、労働者や農民の立場から社会の不平等や貧困を描いたものです。背景にはマルクス主義があり、「資本家と労働者の対立」や搾取の構造を明らかにすることを目的としていました。代表的な作家は小林多喜二で、『蟹工船』は過酷な労働環境を描いた作品として知られています。しかし当時の日本ではこうした思想は危険視され、特高警察による弾圧が強まり、多くの作家が逮捕されたり転向を迫られました。文学が社会や政治と強く結びついた時代であり、その経験が「作家は権力に監視される存在でもある」という意識を残すことになりました。
